4月に三重県で60代の男性がマスクをつけていなかった小学生に因縁をつけて
暴力を振るうという事件が起こりました。
このような「マスク警察」による傷害事件は久しぶりに見ましたね。
マスク警察は正義感をもって注意しようとしたという気持ちは少しわかりますが
どうして暴力という明らかにやり過ぎな方法をとったのでしょうか?
自分なりの考えをまとめました。
三重県でマスク警察が小学生に暴行!
今年4月に三重県鈴鹿市で小学生の男の子が見知らぬ男性に顔を殴られけがをする
という事件が起こりました。
逮捕されたのは62歳無職の福田亨容疑者。
下校中の男の子に「マスクをしていないやないか」と因縁をつけて
殴りかかったとされています。
けがをした男の子は下あごを打撲するなど全治2週間のけがを負いました。
強すぎる正義感をもった「マスク警察」による注意行為だと思われますが
明らかにやり過ぎですよね。
外出先でマスク着用が不要になったのは今年の5月からでした。
当時はまだ野外でのマスク着用義務について緩和されていなかったので
マスクを着けていなかった男の子に注意しようとした気持ちはわかります。
ですが口頭での注意ではなくいきなり殴りかかるのは意味がわかりません。
正義感の強い人が暴力を振るう理由とは?
マスク警察による過剰な注意行為は数は少ないですがなかなか後を絶ちません。
最近ですと、今年の8月に福岡県でマスクをしていないことに腹を立てた
40代の男がマスクを着けていない80代の女性をたたく事件がありました。
まだまだ勢いが衰えない新型コロナウイルス感染症を予防する手段として
マスクは非常に有用です。
マスクを着けることには強い正当性があるから
事件の加害者たちは強気に出てしまうと思います。
どうして正義感が攻撃性に変わってしまうのか関西福祉大学のコラムに
納得できる説明があったのでご紹介します。
つまり、「悪いのは相手のほう」「自分はそれを正そうとした」という考えが根底にあり、「正しさ」と「攻撃性」の関係について考えたいと思います。
そもそも人間にとって「怒り」は、自らを守る場面などで必要になります。
例えば、自分がお店のレジにちゃんと並んでいるのに誰かに割り込んできたらイラっとするのは当然のことです。
そして、傷つけられた気持ちや不利益を取り戻そうと注意(攻撃)するか、自分が危険な目に遭うことや他の人の迷惑になるから我慢するかなどと考えて、実際の行動を選択します。つまり、怒りの感情と攻撃という行動のあいだには、本来、選択の余地があります。
一方で、体罰やパワハラ、DVや虐待は、強すぎる怒りと攻撃行動(暴言・暴力)を、特定の相手に執拗に繰り返します。
それ程までに相手を攻撃し続けるためには、そうするだけの「理由」が必要になります。実はそれこそが、加害者なりの「正義」や「正しさ」です。
簡単にまとめると、正義は相手を攻撃する理由として最適になりやすいということです。
これは日本だけではないと思いますが子ども時代から植え付けられてきた
「勧善懲悪」という観念が染みついているからさと考えられます。
日曜朝に放送されているヒーロー物の特撮などが良い例ではないかと思います。
絶対的な悪者を正義のヒーローがやっつけるという王道の構図は
ずっと昔から多くの人たちから人気を得ています。
このような構図は小説、マンガ、ドラマなど本当に広い形でとられています。
マスク警察に当てはめると、マスクをするという正義に対して
マスクを着けない悪者を懲らしめるという構図になります。
皮肉ではありますが非常にキレイな形になっていますね。
マスク着用が新型コロナウイルス対策に有効でありその正義を否定しにくい
というのが「マスク警察」の厄介なところであります。
それと、自分の正義を持って攻撃する行為はある種の中毒性があります。
先ほどのヒーロー物の例で考えると悪者がやっつけられると
私たちもスッキリとした感覚になります。
正義を執行すると爽快感から気持ちが良くなってしまうというのも
マスク警察による事件が止まらないひとつの理由であると思われます。
もちろん正義感だけでなく加害者の生活環境なども要因にあると思います。
生活があまり良くないという不満感とマスクを着けるという正当性が
合わさったことにより暴行事件が発生してしまうのではないでしょうか。
まとめ
現在は厚生労働省から外出時のマスク着用義務が緩くなっています。
そのため、マスク警察による暴行事件は以前より減ると願いたいところですが
マスク着用義務が完全撤廃されるまではなくならないと思います。
マスク着用を強要する人を厳罰化するなどの法的な対策が
現状だと有効そうですね。